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Colums コラム

2015年06月22日

【生命そのもののパワー】

「生きている心地よさを感じるとき」
どんな時間のことを想像しますか?

あたたかい時間?嬉しい時間?
やさしくて、ほのぼのとした時間?
自由な時間?燃えている時?

みなさんは、どのような瞬間、
「生きている心地よさ」を感じるでしょうか。

結論から言うと万人に共通する「生きている心地良さ」というものがあります。

それは「無中の後」に起きるそうです。

そんな経験をしたことは一度はあるのでは・・・。

そんな経験をしたことは一度はあるのでは・・・。
我を忘れて何かに没頭した後。
身を解放するように、自分という枠に囚われない「無我夢中」の時間を過ごした後。

それは、誰か大切な人と過ごした時間の後かもしれないし、
何か達成したいことを達成した仕事の後かもしれない。

「何によって」はそれぞれ違うにしろ、
「生きている心地よさ」は多くの人が、この
「我が身を忘れて何かに没頭した後」にやってきます。

それは、私たちの中で「リラックス」+「集中」が同時に行われています。

何かに夢中になっている時というのは、この二つが合わさっているとき。
ただリラックスしていても違うし、ただ集中していても、違う。


リラックス+集中=無我夢中

ということなのです。

不景気とはいっても、日本は恵まれている国です。
生活に困ることもないし、食べる事すら必死の国に比べれば、
何一つ、不自由なく安定した暮らしなのです。

ですが、
「生きている心地よさ」というものは
リラックス+集中の先にあります。

やるべきことに追われ、日々のことに追われ、
毎日が過ぎていく。

そんな慣れ親しんだことは、ついつい「自動的」になりすぎて、
気付けばそれが「好き」ではなく「習慣」になってしまう。

これはこれで必要なのですが、
習慣化されたものに、新しいエネルギーを投入しなければ
人はロボットと同じような

「生命そのもののパワー」がないような生き方をしてしまうのでは
ないでしょうか。

潜在意識って、すごい仕組みだけど、おそろしいなーと思うのです。

確かに安定した豊かな暮らしは、それはそれで、必要。
心地よい相手と、心地よい仲間と、心地よい仕事で一生を終えるのも、悪くない。
それは、価値観の違いなので、誰にも強制するつもりはありません。

しかし、「慣れ」ほど「生きている心地」を奪うものはないのでは
と、つくづく思うのです。

ふと、「自分が思っている安定・・」それは、本当に安定なのだろうか?
自分が思っている「こうしなければ・・」それは、本当にねばならないことなのか?

力を抜いて問いかける時間も、「生命そのもののパワー」を持ち続けるために
必要なのかもしれません。